cafeSHABNAM Irano chetor mibini

皆様、こんにちは。閲覧ありがとうございます。
諸々の事情と状況で更新と、頂いたコメントへお返事が遅れることが続いておりますが、どうかご容赦下さいませ。
大変勝手ではございますが、無理の無いペースで、ワタシ自身も楽しんで続けたいと思います。よろしくお願いします。
ケータイから日々のつらつらをこちら→http://fatemeh6.tuna.be/でお気軽な話題をUPしております。
サーバーが重いことがありますがお時間のある時にどうぞご覧下さい。
YUKI拝
マリヤム(仮名)の人生。


マリヤムはナデルとナスリンの娘。そしてサイドの姉である。

父ナデルはどうしようもない男だが、母ナスリンは働き者の明るい女だった。

マリヤムはそこそこ幸せな少女時代を過ごした。

それが急転したのは彼女が16の時である。

母ナスリンが病に倒れた。

母の入院中、母方の家族の叔母達は皆が団結してナスリンの家族を支えた。

ナデルが広間の片隅のガス式暖炉の煙突を開け、その前に背中を丸めて屈みこみ、

大麻樹脂をへばりつかせた太い針金をあぶって吸うのを見とめても誰も文句を言わず、

それで景気を付けて何かしら働いてその金で数日の食事の材料を買って来さえすれば

ナスリンの姉妹達はナデルを責めなかった。

ナスリンは自動車教習所の教官をしていた。

手術はしなかった。

たっぷり薬の入った点滴を受け、髪は抜けたけれども何度も回復した。

母の不在が長くなったせいか、あの父にしてこの息子あり、と言うべきか、

息子のサイドは悪さばかりするようになっていた。

しかし悪さで稼いだ金で母を喜ばせようと傷一つ無い果物を買ってくることもあった。

放蕩息子が何やって稼いだ金かわからないのに病室で周囲に聞こえるように

大きな声を出して喜び、チュッと大きな音をさせて弟にキスする母を苦々しく思ったこともあった。

しかし、優越感を抱くこともあったのだ。今に見てなさい、と。

弟のサイドは一人息子で彼がなんでも相続する権利がある。

マリヤムは母はこの病気に倒れ、父はあの調子、おそらく何も残らないだろうと考えた。

残るとすればこの大きくもない地方都市の少し値の上がり始めた祖母の土地の一部だろう。

アパルトマンを建てて叔母達で分け、クリニック専門でテナントを入れよう、と言うのは

日本人妻が居るかなり年上のいとこのアハマドだ。

こういう問題は足並を揃えるのに時間がかかる。

自分はそういう取り合いの争いに巻き込まれたくないで弟の名義にして

弟に何かあったら私に御鉢が回るようにして、とアハマドに言った。

もちろん、ナデルには何も任せられない、でもそれでいいのか?と言った。

テヘランからやってきて同席していたアハマドの妻、ナツミは言った。

「お見合いの話でもあるんだ?」

マリヤムはナツミがいつも黙ってその場に空気のように居て、話をすべて聞いているので

驚くことがあった。

この見合いの話も一番下の叔母の、夫の家族の誰かがが持ってきた話だ。

ピスタチオの名産で有名な町出身の8歳年上のモハンマド。

初めて会う時、母の代わりに、母たっての願いで一番上のおば、つまりアハマドの母と

一番年上の嫁ということでナツミが付き添った。

印象は多少小太りの、優しそうな青年。

しかしスタイルを補って余りある高級な衣服を着ていた。

派手ではなく、いわゆるシックというやつだ。

マリヤムは黒のチャドルを脱がなかった。

モハンマドの母が何度もすすめ、誰かのメッカ巡礼土産の布を自ら縫ってマリヤムにと持参した物だ。

叔母が目配せして、ナツミがありがとうございます、と受け取り、マリヤムをいざなって

祖母の寝室だった部屋に行き、羽織り直した。

上品な薄い紫の生地に細かいバラの模様だった。

ナツミは、これ、シルクじゃない?と言った。

そうかもしれない。

新しいチャドルで出てきた未来の嫁を見てモハンマドの母親はたいそう喜んだ。

サブズ=緑、小麦色の肌もこう呼ぶ。少し浅黒い肌のマリヤムに薄い紫はよく似合った。

モハンマドは少し赤くなって湯呑の中の紅茶ばかり覗き込んでいた。

この数週間後、モハンマドと母親はナスリンを見舞った。

ナスリンはとめどなく落涙し、モハンマドの手を握り、

「娘は強い女です。でもあなたに盾突くことなどしません、どうか娘をよろしく」

と言い、彼は心から「お任せください」と泣きそうな声で答えた。

ナスリンは何回も医師の告げた余命をくつがえしたが、とうとう力尽きた。

死の三日前、彼女は病室にマリヤムを呼び、寝つけないから、と家から持ってきた枕の

カバーを外せと言った。

枕の端には20センチほど赤い縫い糸の目があり、それを引き抜けと言う。

中を探るとビニール袋に包まれたドル札の束が一つとそれ以外の金をマリヤムが引き出せるよう、

自分の死後、一番上の叔母と息子アハマドがマリヤムの後見人となる、という

書類があり、弁護士への支払いはもう済ませてある、と言った。

父ナデルにも、弟サイドにも言うな、と息も絶え絶え娘の手を握った。

「にっこり笑ってモハンマドになんでもねだりなさい、自分からお金を出してはダメよ」

そう言って気を失った。

マリヤムはこの日、人生で一番泣いた。

その代り母の死んだ日は冷静だった。

葬儀の一連の段取りも叔母達に手伝ってもらって、こなした。

叔母達の家族らも、なんて強い娘だろう、良い娘だ、モハンマドは果報者だ、と口々に言った。

勿論モハンマドもいい婿だ、と皆が褒めた。

四十日の法要までに、墓石を調達してマリヤムが選んだ言葉とナスリンの写真を

コンピューターを使う墓石業者できれいに作らせ、約束通り母親の隣に埋葬された。

人が集まる日の食事やフルーツもすべて手配した。

生前はテヘランの端っことこの街と遠く離れていたナスリンと祖母であったが、

ナスリンは、皆に「死んだ後のことなんて考えちゃダメよ」と言われつつも

自分のお金を一番上の姉、アハマドの母に渡して「母さんの隣に葬ってほしい」と頼んでいたのだ。

四十日の法要も過ぎ、さて結婚式の段取りは、と皆が言い出す頃だった。

まず父のナデルがやらかした。

仕事探しにテヘランに行き、なかなか仕事が見つからずムシャクシャしている時に、

知人の所を渡り歩き、しかし風呂まで浴びるのは迷惑と言うもの、

公衆浴場で済ますこの2週間に疲れてきた。

アハマドがナスリンの長姉である母親と暮らすアパルトマンに2、3日泊めてくれないかと頼んだ。

妻のナツミは日本の学校の休みが終わるので息子とともに既に帰国していた。

アハマドは「臭うぞ」と言った。

アハマドは親戚中でも有名な嫌煙家。

ナデルは「吸う時はバルコニーに出るよ」と言った。

「最後の一吸いの後の息は外に吐いてこいよ」と細かいことを言われた。

ナスリンの姉、シャヒンはナデルが妹を苦しませたと感じていたのであまり話も交わさない仲だ。

居心地が悪いので朝はアハマドに頼んで弟のダニヤルが働アハマドのくゴールドショップが入った

ショッピングモールに連れて行ってもらい、新聞を買って日陰に座って広告のページを隅から隅まで

探した。

トイレに降りてきたダニヤルが「暑いだろう、エアコンがきいてるから店でやれよ」と言ってくれた。

電話で数か所、面接をしてくれる所が見つかり、どこも明日来いというので時間を調整した。

ダニヤルは「兄貴もお袋もうるさいだろ?最初の面接には送ってやるから今日はうちに泊れよ」と

言ってくれ、内心ホッとして、店じまいの少し前にやってきたアハマドに話すと、

じゃあ、そうしろ、と言ってダニヤルにもう帰っていいぞ、と言い、

売上を計算するところをナデルに見られたくないので弟達を帰らせた。

ダニヤルの妻のパルヴィンは、アハマド言う所「下賤な出の女」で、ダニヤルの金で

シミやらソバカスやらをレーザーで焼いたとか、義理兄嫁のナツミに競ってゴールドジュエリーを

セットで買わせたが、所詮は「下賤な出の女」、邪視が怖くて銀行に預けたきりだとか、

色々言われている。

兄貴の一人は指名手配犯だとか、姉だか妹は売春で刑務所に居るが定期的に

父親が賄賂を払っているのだとか。

そんな中で育ったパルヴィンを絨毯にねじ伏せたのはこれまたナツミだと言う。

原因は姑に軽口を叩いたパルヴィンをナツミが咎めたことだと言う。

空手だかカンフーをやっていたとか聞いたが、亡き妻ナスリンの系統には姉妹たちだけでなく、

嫁までも女傑揃いということか。

今日はやらない、と決めていたが、3件の面接を抱えて明け方どうにも目が覚めた。

どうしても耐えられず、オーブンの中の布に包まれた薄いパンを出して、冷蔵庫から塩水に浸かった

白いチーズを出し、パンにくるんでを続けざまに三枚食った。

牛乳があったのでそれも半分ほど飲んだ。

そしてバルコニーに出て、スラックスのポケットから出してきた包みを広げ、短い針金に

大麻樹脂をへばりつかせてライターであぶり、プラスチックパイプで吸い込んだ。

朝起きてきたパルヴィンは、

「アガナデル!(アガ=Mr.)食べてもいいけど散らかさないでよね!」と一喝。

ナデルは、悪い悪いと言ってパンと牛乳の他に何か必要か?と聞き、

近所のスーペル(小規模の雑貨店、食品も扱う)でキュウリのピクルスとチーズ、

牛乳を買い、薄いパンだけを焼いているパン屋で順番待ちに並び、買って帰った。

起きてきたダニヤルは、いくらかかったか聞いてきて財布を出した。

ナデルは断ったし、パルヴィンも後ろで目を見開いてみていたので、

実は夜中に腹が減ってあれこれ食べちまった、だから元からアンタの物だ、と言った。

ダニヤルは、じゃ、まぁ、と財布をしまい、起きてきたパルヴィンの連れ子も一緒に

朝食を食べ、ダニヤルの長いシャワーの終わるのを待った。

パルヴィンの入れた紅茶を飲みながら手割の砂糖をジャリジャリと噛み砕き、

心の中では「あと一吸い!あと一吸い!」と悪魔が囁き、手が震えた。

これはまずい、タバコを吸おうとバルコニーに出ようとするとパルヴィンは

ウチの換気扇、強いのよ、いいわよキッチンで吸っても、と声をかけた。

パルヴィンが天使に思えた。

ナデルは大急ぎでほんの小さなひと塊を針金にくっつけて急いであぶって煙を吸い込んだ。

頭の中の楽隊がファンファーレを演奏し、ユル・ブリンナー扮する王様が

白い肌の女教師と踊りだした。

ナスリンは機嫌が良いと英語でその歌をよく歌っていた。

シャワーが止まった音がしたのでナデルは思わず朝食の食器を洗剤多めに泡立てて洗いだした。

パルヴィンは「アガナデル!いいのよ、気を使わないで!」と言ったが、

「もう洗い終わるさ!」と言って、夫の視野に入らない時はグータラなこの女は、

「ダステショマダルドナコネ!(お手数おかけしまして!)」とソファに寝そべったまま答えた。

風呂から夫が呼ぶとパルヴィンはそそくさとタオルを持って行き、

呼んでくれたら背中をこすったのにとシナを作っていた。

もちろんいつもより早い時間に起きてくれ、彼を送ってくれるのだが、

ダニヤルの長身繕いにはかなりまいった。

髪型を決めてはシャツはどれを着る、それだとそのパンツは似合わない、と

夫婦でやり始め、ナデルは半ば諦めて壁に寄りかかり足を投げ出した。

足の指の間に痺れに似た感覚が起き、ふくらはぎがマッサージを受けたあとのように

ふわっと軽くなった。さっきの一吸いが効いていた。

その感覚を楽しむと亡き妻のことや、娘の結婚、息子の放蕩ぶりもどうでもよくなった。

しばらくその感覚にもてあそばれていると、やっとダニヤルの支度が済み、出かけることになった。

アハマドの店からもダニヤルの家からもそう遠くない場所で一つ目の面接となる。

ダニヤルは1、2枚のインフレで桁の膨れ上がった数字の紙幣をナデルの胸ポケットに押し込んだ。

断るナデルに、今日はタクシー代もかかるし、メシだってどこかで食うだろ?

それに使ってくれよ、と。

しかし、釘を刺された。「アレを買うには使ってくれるなよ。」

大麻のことである。

いや、こんな大変な時期にあんなもの吸わないさ、と嘯いて(うそぶいて)

礼を言い、車を降りた。

ダニヤルの「帰りは店に来いよ!またうちに泊ればいい!」との親切な言葉に手を挙げて応じた。

一件目は水回りの品物、キッチンのシンク、便器、最近増えてきたジャクジーの浴槽が

飾られた清潔で明るい店だった。

腹は出ているが、力はあるし、接客はさせられないが倉庫からこの店舗まで品物を運ぶとか、

これから配管を覚えてもらい、客の家に配送、設置をする仕事になるが?と言われ、

どんな仕事でもする覚悟だが娘の結婚の用意もしてやりたいので、大体日当はどれくらいなのか

図々しいのは承知ですが、と聞いてみた。

結婚式の日取りを逆に聞かれたので、答えると、そこまでに仕事を覚えていれば、と

電卓で示した。悪くなかった。作業着は辞めた者の古着、昼食は会社で出る、とのことだった。

携帯番号を伝えて明後日までに連絡が無かったら諦めてくれ、と伝えられた。

二件目の会社は、植木屋で、一戸建ての家やアパルトマンの中庭に植樹したり、

契約している果樹園にローテーションで夜中から明け方にかけて水やりをする人員を

探していると言う。

テヘラン郊外の場合もあるが、車は持たせてやると言う。

これも一応是非、と言い、連絡待ちとなった。

三件目は、ピザの配達員だった。遠目に店を見ると従業員も客も若者ばかりで、

こいらにへつらって仕事をするのはゴメンだ、と声をかけずに引き返した。

金はもらったがここからタクシーに乗るのが惜しく、バスでアハマドの店の入るモールまで行った。

反対側に公園があったはず、と歩き出した。

遠くから観察すると遊具と健康遊具の辺りには親子連れが何組かいた。

大通りに面したゲートには水仙の花を売る少年が立ち、通り過ぎる人々に

勧めてチョコマカと動いていた。

その奥の裏路地に面した小さなゲートの木の後ろでタバコを吸いながら

所在無げにしている男を見とめた。

ナデルはその男と周囲を見ながら近づいて行った。

男はナデルに気づき、向き直った。

「火を貸してくれ」タバコを出して話しかけた。

「兄さん景気はどうだい?」と言いながらナデルのタバコに自分の火くちを近づけた。

ナデルは「ちっともさ、金のかかることばかりで仕事はねぇし」と言い、

息をニコチンと一緒に吸い込んで、

「あるかい?」と切り出した。

男は答えた「吸いさしかい?チョコかい?」

「チョコを一つだ」とナデルが答えると値段を告げられ、金を払った。

「あの花売りのガキに青一つだと言え」と言われた。

踵を返して正面ゲートに向かうと少年がこちらを見てニヤッとし、ゲート脇の植え込みの方へ

手を伸ばした。

小さな声で「青一つだ」と言うと少年は青い小さな包みをナデルの手のひらに押し付けた。

「叔父さん、ママンが病気なんだ。妹も腹を空かしてる」と少年は言った。

「あっちの男から後ででもらうんだろ?福利厚生の充実は雇い主に交渉しろ」と言うと

少年はまたニッと笑い、「叔父さん学があるねぇ」と言い、通りかかった女性に

水仙の花はどう?と勧めに小走りで近づいて行った。

本当ならモールのトイレに直行したかったが、ダニヤルが今夜も泊めてくれるのか

確認してから、と思い、大通りを渡ってモールの正面階段を軽い足取りで駆け上ると

後ろでキャーッと声が上がった。

ふりむいたナデルの視界の一番奥にさっき自分に大麻を売った男が四人の警官に取り押さえられ、

悲鳴を上げたのは花売りの少年で屈強な警官に羽交い絞めにされており、そして今まさに、

自分に向かって5人の警官が掴みかかってくるのが見えた。

頭の中で自分が囁いていた。

「あと一吸い、あと一吸い…」

階段で引き倒されたのでナデルは顎をしたたかに打ち、気を失った。

その時思った、「痛み止めにあと一吸いさせてくれ…」

夜九時頃になってアハマドの携帯に市内からの固定番号で電話がかかった。

ダニヤルにも見せたが「知らん」と肩をすくめた。

電話に出たアハマドの顔は暗雲にわかに掻き曇り、「では、明日一番に。はい、伝えます。」と

答えた。

ダニヤルと妹の夫のイブラヒムはアハマドの顔を覗き込んだ。

「俺たちの叔母を苦しめただけじゃ気が済まないのか、あの男は!娘まで!マリヤムまで!」

と、ショーケースの上に携帯を乱暴に投げ出した。

テヘラン市内の警察署からだった。ナデルはアハマドの名前を挙げたらしい。

テヘランのベッドタウン、キャラジに住むイブラヒムには何があったか話して帰らせ、

母親の待つアパルトマンへダニヤルは車で、アハマドはバイクで帰った。

母親の故郷の祖父母の住んだ家に父の血をよく引いたサイドと暮らすマリヤム。

彼女にどう伝えるか三人は話し合った。

ダニヤルはしばらく座っていたがパルヴィンから電話が入り、帰ることにした。

弟を猫かわいがりする母はダニヤルの足音が途絶えてドアの閉まる音がするまで玄関で

ドアを細く開けて見守った。

その姿を見てアハマドは叔母ナスリンのなんと心残りなことだろう、と思った。

本当なら娘の結婚式にも出席し、こうやって年をとっても孫やすっかり成長した息子を心配したり、

それも幸せの一つであったろうに。

とりあえず軽い夕食を温めだした母を見て、自分の部屋に入り、パソコンを立ち上げてみた。

ネットに繋ぐとナツミのメッセンジャーがオンラインだった。

コネクトするとすぐに日本語で「もしもし!」と返事があった。

こんな遅くまで起きているのか、と聞くと月末だからこんなもんでしょ、と事も無げに答えた。

実は、と事の顛末を話すとナツミは、

「ハーレファルザネ(ハーレ=おばの意)にまず電話して、娘達を部屋へ入れて、

旦那のマスードさんとマリヤムと三人で、話した方がいいよ、一人のとこにそんな知らせは

しちゃダメ!ハーレに全て話してもらって」と的確に指示してよこした。

「そうだね、一人のとこでこんな話はできないよな」

電話を切り、母が温めたスーペジョウ(麦スープ)にパンの簡単な食事をしながら、

食べながらスマン、携帯を手に言うと、

あっちもマスードの作ったトマトのオムレツをフライパンから

こそぐ音をさせて、お互い様よ、と話しを始めた。

今、電話してマリヤムをこっちへ来させるわ、まだ起きてる?と聞かれ、

ああ、起きてるよ、来たらまた電話してくれ、と言った。

ファルザネは美容室を営んでいる。彼女が稼ぎ、三階建ての家が一つ、スーペルを一つ、

シャンプーや化粧品を中心に衛生雑貨を扱う店も美容室の上に一つ。

化粧品が切れたら半地下の美容室に用立てるので一石二鳥というわけだ。

ミスター・マスードは本物の髪結いの亭主ね、といつだったかナツミが内緒で言っていた。

母は、ナツミはまだ起きてるの?と心配そうに言った。

大丈夫だ、明日は土曜で休みだから、と答え母を安心させた。

マリヤムのことを思うと気の毒でスープの味がわからないまま

いつもよりパンを多く食べてしまったアハマドであった。



「マリヤム(仮名)の人生。2」に続く。
| イラン | 16:40 | comments(1) | trackbacks(0) |
地震のこと。
ワタシが東京の隅っこでヤキモキしていても何にもなりませんが、心配はしています。

飛び込んで行って何かして差し上げたい気持ちはあります。

でも息子をおいて行くことはそれは「ワタシ」という個人にとって優先順位が違ってきます。

ですから、食器洗い機を使わないようにしたり、キッチンのメインの照明は消して、

シンクとガスコンロの所の小さい蛍光灯だけをつけて。

パソコンに関してはこの一年頑張ったご褒美で新しくしてもらったので勝手に省電力モードに。

ですので、出来る限りで節電、節約。

最初は電化製品の影響で予めオフして待っているのに停電しなかったり、でしたが

もう市の放送の時間通りに停電していて、予定復旧時刻より少し早く電気が来るので安心です。

なんたってイランでは、仕事以外で渡イランすれば必ず長く滞在する親友の住む

南部に行くと、いつも夏ということもあり、停電はしょっちゅう。

火炎地獄です。

ぬるくなるから!と冷蔵庫からスイカを食べて喉を潤しながら待つのみ。

だから復旧すると神様に感謝の言葉を皆で唱えて笑いあいます。

友達のトイレは貯めたお水で流しますし、普段から。

だからそれくらいガマンしろ、という意味じゃありません。

そういう経験があるので不便だな、というのは少し理解できます。

お母さんが自衛隊のお風呂に入る間赤ちゃんを抱っこしててあげるとか、

持病のあるワタシですが、それくらいなら出来るんだけどなぁ。

まぁワタシが寒さで具合悪くなったら反対に迷惑でしょうしね。

だから出来る範囲で出来ることを。

まだまだ余震もあり、我が家でも揺れることもあるのですが、現地の皆さんは

そのたびに恐ろしい気持ちになることだと思います。

交通手段が分断されて少人数が集まって孤立した場所では食べ物が底をついているとか。

せっかく助かったのに避難所で痛ましいことになっている状況を漏れ聞くと

本当に悲しいです。

何のお役にも立てませんが、本当に皆さん、御身体に気を付けて頂きたいです。

お仕事として行かれている皆さんもお怪我の無いように気を付けてほしいです。

何を書いてよいかわからず、こんなに遅くなってからの記事になりましたが、

それでもなお、要点を何処において書いたら良いのやら、見当もつきません。

被災地以外のワタシ達も反省すべき点、数々あると思います。

2,3回スーパーの行列に止むを得ず並んでお米と牛乳を買いました。

もう、強迫観念に襲われている感じですね。

一言テレビで流れたら今まで無かったものが棚にたくさん残っていたり、

お水が全部無かったり。

我が家ではいつも行くスーパーに機械があって水道水を精製して専用タンクで

汲んで帰るサービスを以前から使っているのですが、いつもたくさん並んでるタンクが

売り切れていました。

もう、ホント、情報化社会、良いのか、悪いのか、という思いです。

被災地以外のワタシ達は落ち着きましょう。とりあえず。

海外の多くの国がこの状況で打ちこわしや暴動が起きないことに驚嘆しています。

こういう時、日本人の美徳を誇りに思います。

でもどうか、被災者の皆さんはあまりガマンをなさらずに。

欲しい物や足りない物があったら是非係の方にリクエストしてみてほしいです。

ガマンをするのはワタシ達でいいのです。

一日数時間の停電、不便ですよね、でも、そしたらいい香りのキャンドルでもつけて

家族で寄り添って横になるのもいいことですよ。

人間って温かいな、家族って温かいな、って思います。

それだけでも本当に幸せなのです。それだけが守るべき大切なものなのです。

わがまましないで現地の皆さんを思って過ごしましょうよ。

原発、という勉強不足のワタシには語ることのできない大問題もあります。

そろそろ、壊れたら手を出せない物、使っていて出るゴミの捨て場に困る物を使うことの

是非を考えませんか?

誰かが下さったチャンスなのかもしれませんよ。

そんな風に思っています。

早く春になって、避難されている皆さんが寒さという苦難から解かれて欲しいと思います。




| ひとりごと | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
あやまらない人達。
イラン人とかかわっていると痛感すること。

ま〜〜ず、あやまらない(笑)

ワタシは以前社員教育なんかで「申し訳ございません」とか「すみません」を
刷り込まれ、謝らなくてもいい時に簡単に謝ってしまっていた。

まず身近なイラン人、主人は家の中ではワタシが、

「とりあえず、時刻に関することや買い忘れなんかは“ゴメン”と言ってくれ」と

刷り込んだので、殆どワタシがカチンと来ることは無くなっている。

「あ〜、コレじゃなくて青のヤツなの」と言って、

「もっと詳しく言ってくれたら間違わなかったのに」と言われると、

詳しくは説明した、でも違うジャン、と思ってしまう。

だから、

「もっと詳しく言ってくれたら…でもゴメンネ」と言われると

「うん、まぁいいや今回は」と許せる。

“あやまらせる”のではなく、“ゴメンと言ってもらう”と「じゃ、いいよ」となれる。


しかし、今回はいつもよりも日本に滞在する期間が長いので、軽く驚くことがあった。

息子とのやり取りの中で、学校の後寄り道しないで帰宅せよ、を破ると

息子は簡単に、「ゴメン」と連発するからである。

ここで主人の「あやまらない哲学」が披露された。

「カンゾウ、簡単にあやまっちゃダメだ」

「あやまることは負けることだ」

エッ?!

「今回は自分が悪いからあやまらなくちゃならなくなってるだろ?」

「だからあやまらなくちゃならないことなんてしちゃダメなんだ」

ああ!それなら納得できる、かも。

あやまらなくちゃならないような状況に陥るなということでしょ?

なるほどね。

それを聞いてなーんでイラン人てこうなの?と思うことが減っている自分に気づいた。

でも中には自分が絶対悪いのにぜぇったいにあやまらない人も居る。

そういうイラン人と、謝罪の意思は持ってないのに簡単に謝る日本人を比べると…

どっちが腹立つ?

ワタシはどっちも腹が立ちますが、ワタシだって日本人相手に腹の中で

アッカンベーしながら謝っている。

(こちらにミスがあればもちろん心から謝りますよ?…ホントですってばww)

「負けるが勝ち」の教育を受けて育ったワタシはイランで暮らして

「あやまったら負け」の世の中で家族内でもオゥ!と思うことがありました。

今では「あ、ちょっとスミマセン」程度でしか「ベバフ(kh)シド」という言葉を発しません。

その代わりに「メルシー(ありがとう)」はよく使いますね(笑)

もまれといてヨカッタ…。

だってワタシ、義弟の嫁、かなり問題人物なんですが

彼女には「ベバフシド」の「ベ」の字も言いませんもの(笑)

でも時間が経ち、一つ前の記事の如く、義弟嫁との時間の方がゆったりしているかも(!)。

だって今や甥っ子、というにはかなり大人な義姉の長子はテヘランに帰ってきて、

あれこれ準備があって、仲が良いこともあって押せ押せで無心されたので怒ったのです。

数年で三十路になるのにいつまでそんな事を言っとるんじゃ!と。

ええ、イランなら四十のトシでも無心してくる弟さんや妹さんが居るってことも。

(いや?お兄さんやお姉さんも居るらしいですね)

ま、それから甥っ子からは連絡はありません。

義姉が一度ご機嫌伺いに連絡してきましたが、お金の話はしませんでした。

ワタシがウンと言わないと「日本のお財布」は開かないのです。

イラン人に限らず、「オトナ」は甘やかさないのがイチバンですからね。

甥っ子はやはりあやまらず、「ザンダイー、そんなに怒らないで〜」と
(ザン=妻、女の意+ダイー=おじ)

煙に巻いて電話を切っていました。

だからワタシもあんまりあやまりません。

うーん、仕事でもあやまらないかな。

だって出来ることと出来ないことは最初に説明していますしね。

馴れ合いやすい仕事なのでこれは気を付けています。

あんまりあやまらない配偶者の居る方、もしかしたらウチの主人が言っていることが

考えにあるのかもしれませんよ?

事の大小によっては一言ゴメン、が欲しい、とリクエストしてみると良いかもしれません。



JUGEMテーマ:旅行
 
| イラン | 17:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
行き過ぎしことぞ。
息子の命が今夜もつのかと枕に頭を乗せ、結局そのまま朝を迎えた日々。

イーン ハーム ボグザラド。

体中が痛み、悲鳴をあげていたのに笑顔で朝の支度をし、頬を叩いて仕事着に腕を通した日々。

イーン ハーム ボグザラド。

押してもらえない印鑑を望んで胸をかきむしった日々。

イーン ハーム ボグザラド。

姉妹と頼むほどに信頼していた相手に後ろ足で糞混じりの土をかけられたことも。

イーン ハーム ボグザラド。


外との闘いには慣れた。もう何を言われても怖くは無い。

イーン ハーム ボグザラド。


お互いに憎みあい、命を取ってやろうかと思うほどだった相手と、

かりそめではあるが、隣り合って座り、料理や手芸を褒めたりする。

イーン ハーム ボグザラド。


今までの人生で真っ赤な口紅はつけたことがない。

皆同じメイクで働く客室乗務員達を見るとどんな気分だろうかと想像してみる。

イーン ハーム ボグザラド。


元気だった若い頃、ずっと履いていたドクターマーティンのブーツを片付けて

ピンヒールで歩いてみたことがある。

女というのはなんとスリル好きなのだろうと一日過ごしてみた。

イーン ハーム ボグザラド。


今更、と思いつつも今年は夫の誕生日とチョコレートの日を一緒に過ごせ、

シアワセだと思えるほど忍耐強くなった自分。

忍耐の足りなかった若い頃を恥じるのはもうやめよう。

イーン ハーム ボグザラド。


その他のいろいろなこと。

泣いたこと、怒ったこと、苦しんだこと、

イーン ハーム ボグザラド。

イーン ハーム ボグザラド。
| イラン | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワタシの中のスイッチ。



イランに住み始めの頃、「羊」って特別な存在なのだな、と思いました。

見て可愛くて食べて美味しい(笑)

もちろん苦手な方もいますけどね。「ヒツジだけは…」というジャポ妻友達も。

とにかくヒツジは願掛けやお祝いに殺して近所にも分けたりと、必須アイテム。

今でこそ慣れた皆さん同様に「ジャポンスイッチ」と「イランスイッチ」を

使い分けて事にあたることができるようになったワタシですが、

まだまだ「あまちゃん」だった頃、こんなことがありました。

イランの元旦は3月21日からで、お正月13日を祝うスィーズダベダルを一緒に過ごす為に

イラン南部の友達家族の所へ行きました。

古い国産車「ペイカン」二台に分乗して義姉夫婦達と一緒に行きました。

辺りが夕陽に照らされてオレンジ色に染まる舗装されたアスファルトの道路の脇の峠を

羊飼いが一人で50頭ほどのヒツジを連れて帰る様子がシルエットになり、きれいでした。

しばらく走ると周囲はとっぷりと夜の闇に包まれました。

ヘッドライトが脇道を照らし出した刹那、子羊が一頭はぐれて迷っているのが見えました。

義姉夫婦の車が停まり甥っ子が車からピョンと降り出て前足・後ろ足を器用に

掴んで肩に担いで運転していた義弟に「トランクをあけてよ!お土産ができたぜ!」と。

主人も車から降りて積み荷を整理し始め、姑のチャドルに包んだ荷物を運転席と助手席の

間に置いて空間を作ってヒツジを積んでしまいました。

ワタシ、絶句。

「これって泥棒じゃないの?!」

主人も義弟も姑も、ワタシが面白いジョークでも言ったかのように笑いました。

「じゃあ、どうする?もっと先の分岐点まで行って戻ってさっきの羊飼いを探す?」と義弟。

「それは…、無理かもしれないけども…。なんか正しくない気がするんだけど…」

今度は姑が、

「でもね、拾わないで行っちゃったら、車に轢かれちゃうかもしれないし、
 こういうキャビール(沙漠=ウェスタン映画で決闘の場になるような)では、夜になれば
 ショゴル(ハイエナやジャッカルのような野犬)が出てきて結局食べられちゃうよ?
 苦しい思いをして殺されるより、持って行ってお土産にしたらお祈りしてパッと
 苦しませずに殺して、皆で食べられていいじゃない?」

ワタシ「えぇ〜〜?!」(コレは普通にペルシャ語の「エー!」に聞こえたらしい)

「エーじゃないよ、日本ではこういう時どうすんの?」と義弟。

主人は笑いながら、

「大切に牧場に飼われてるからなぁ…。それに迷いヒツジなんて居たら日本人は
 動物好きだから必ず警察に届けるんだよ。飼い主が見つかるまで警察官が世話するんだ。」

義弟と姑はまた大笑い。

「ずいぶんヒマなんだな、日本に行ってオマワリにでもなるかww」と義弟。

主人は、「ヒマって言えばさ」と日本のスピード違反の「ネズミ取捕り」の話へ話題をシフト。

ワタシ、心中にて「なんかヤダ!!」

友達宅到着。もちろん先方は大喜び。

ワタシの曇った表情を見逃さなかった友達は独特の訛りのあるペルシャ語で、

「ィユキ〜、チショド?チェラ〜ナラ〜ハティ〜?」
(ユキ〜、どしたの?なんで不機嫌〜?)

と聞いてきました。

その時は「後で話すから」と言い、さばかれた子羊の内臓を焼くのに露天のガレージの

ガスコンロで仕事を始めた友達について行き、顛末を話しました。

彼女は手を振って、

「エイビナダレ!イ〜ン グスファンド〜、ホダーダデ!

マン、ホシュハルショダム、ハ〜メ ホシュハルショダン(ド)!」

<第三者を指した場合の語尾の(ド)は聞こえない発音がされることもあります>

(「いいじゃないの!このヒツジは神様が下さったのよ!アタシ、嬉しい、皆、嬉しい!)

…と、言うのです。

そして、

「ダストポクテ マノ〜、ネミホリー?ハッフェミコナモ〜!」

(アタシの料理、食べないの〜?息の根止めるよ〜!)

冗談を言い、ワタシの首を絞めるふりをしました。


殺したての新鮮なレバーが焼ける匂いを嗅ぎながら夜空を見上げて思いました。

そうだ。ここは日本じゃないんだ。



だからと言ってイランは無法地帯ではありません。

しかし「法律」と「人間」の間に、なんと言うのか、…「ゆとり」?「あそび」?があるのです。

仕事でテヘランのイランで一番大きな裁判所で、目の前で決然と「死刑」が言い渡され、

背中がゾクリとしたことがありました。

しかし、また別件では被告と原告に話し合いの場を設けてはどうなのだ?と

同じ裁判長が提案し、その場で両者が条件を出し合い、穏便に(と言っても裁判所ですが)

解決してしまったのも目にしました。

控室にお邪魔して雑談などもさせて頂いたのですが、

もちろん博識で、しかも人情家に見え、裁判官と言えば縛り首だー!と言い出す、という

誤ったイメージが払拭されました。


ヒツジの話と裁判の話、ワタシはなんとなく関係があるような気がするのです。

ペルシャ語を聞くとカシャ!と「イランスイッチ」が入ることもあれば、

イラン人と話している最中に、これまたカシャ!と「ジャポンスイッチ」が入ることも。


イランに限らず異なる文化の間で生活や仕事をしている人は皆が持っているのかもしれません。

このスイッチ、どちらかに固定してしまうこともできますし、

都合に合わせて切り替えしながら生きていくこともできますよね。

あなたはどちらに合わせて生きていきますか?
| イラン | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミント風味の家出。


イランから戻り、イランの家族の自活の為に購入した店の月賦が終わり、

身体をすっかり壊したワタシは疲れて疲れて何も考えられなくなりました。

そうです。自分が自分で足を突っ込んだので誰にも文句は言えず、

言えばあちこちで言いふらされ、誰を信じてよいのかわからなくなりました。

主人を愛しているのか、息子を愛しているのか、聞かれてもすっかり自信が無くなっていました。

数日かけて少しずつ荷物を整理してまとめたバッグは押入れに隠しました。

部屋の掃除も完璧にして、大切な物を持ち忘れまいと何日もあちこち開けては閉めていました。

そしてある夜中に起き上がり、川の字に敷いた布団に息子と主人が並んで寝ているのを

しばらく見つめました。

そして音を立てないように押入れからバッグを出して、用意していた服に着替え、家を出ました。

とぼとぼと歩き、コンビニの明かりの近くに座っていました。

お尻は痛くなるし、寒いし、始発の頃までファミレスに入ろうと思いました。

ファミレスに入ること自体もとても久しぶりでした。しかも一人でなんて。

パンケーキと珈琲を頼みました。

パンケーキだけで5杯の珈琲を飲みました。

「イランのカフェで5杯珈琲飲んだら日本よりずっと高いね」なんて思ったり。

パンケーキのお皿を下げようと店員さんがやってきて、一番上に乗っていたミントを

手で取ってさっと口に入れました。

すっかり珈琲の味になった口の中にミントの味がスーッとひろがり、イランを思い出しました。

ミントが大好きなワタシは食事のつけ合わせのライムを水に絞って、

サブズィ(ハーブ)の盛り合わせの中からよけておいたミントを噛みながらライムジュースを

飲むのが好きでした。

特に嫌いな食べ物の無いワタシでしたが、さすがに毎日続くイラン料理には疲れていたので

そんなことをして食後の胃を刺激していました。

味をつけないヨーグルトに乾燥ハーブを混ぜて食べるのも大好きでした。

これだけはやめられないのでイランから乾燥ミントをいつも持ち帰っています。

口の中がスーッとして、店内は静かな音楽がかかっていて、若い人達でポツポツとうまった

テーブルからは楽しそうな談笑が聞こえます。

ワタシは上着を着て、荷物を持ち、会計してアパートの方向へ向かいました。

周りの景色が青く見え、朝が近いことを告げていました。

鍵をそうっと差し込み、音がしないようにノブを回してドアを開けました。

「うちのにおい」がしました。

ドアを閉めるとバッグを下ろし、寝室としていた奥の部屋の襖を開けました。

息子と主人が同じ方向を下にして、同じ腕を同じように曲げて寝ていました。

ワタシの目からはほっぺたが焼けるような塩辛い涙が流れ落ちました。

ワタシの、ワタシの、可愛いふたり。

全てを捨てて手に入れた可愛いふたり。

誰にも渡さない。誰にも傷つけさせない。

そうやって声を殺して思い切り泣いて未遂に終わったワタシの家出のお話です。

おわり。


JUGEMテーマ:恋愛/結婚

| ひとりごと | 23:22 | comments(4) | trackbacks(0) |
宗教って。
この単語がタイトルに入っているとワヤワヤ言う人もいますが、とりあえずは

我が家での、こんなことから。

ワタシと妹が昔一緒に買って取替えっこしながら

読んでいたマンガ雑誌に掲載されていた、「伝染るんです。(うつるんです)」

不条理コメディー、不条理ギャグが大好きだったので二人して繰り返し読みました。

少し前に息子のカンゾウが、インターネットを許可した時間に

クスクスと笑いを噛み殺していたのです。

見ると見慣れた絵柄が。

「伝染るんです。」のDVD発売時のCMの映像がユーチューブにアップされていて

「かわうそ」や「かっぱ君」の4コママンガを見ていたのです。

特にいやらしい内容も無いのでネットの古本屋から文庫版で全五巻を買いました。



懐かしいのでワタシも読みました。

その中にこんな4コママンガが。

行者?修験者?の格好をした青年がお題目を叫びながら、

岩山をかけのぼったり、滝に打たれたりしつつ、

「南無八幡大菩薩!願わくばその功徳をもって

我を大学に合格させたてたまいたてまつらん!」

と、3コマ目で叫ぶと4コマ目で他の修験者からポカリと頭をぶたれて、こう言われます。

「勉強しろ!勉強!」

妹とワタシは一緒に本を覗き込んで「そりゃそうだ!」と爆笑した思い出があります。


ワタシは宗教に関してこの4コママンガに本質が描かれてるな、と思います。

もう、この時点でマンガと宗教を同じ位置に置いて論ずるな!と思う人もいるかもしれません。

でも、こういう「拝み方」、している人、居ませんか?

ワタシは結婚改宗ですが、主人も主人の家族もワタシにあれこれ言いません。

でも、皆で出かけた先で礼拝しなくてはならない時、出来なければ恥をかくのは

ワタシではなく、姑であり、主人でしょう。

「誰も教えてないの?」と言う人が出てきます。

旅行の途中、ちょっと休みたいからモスクや参拝所に寄って数ラキャアトの礼拝を

家族のてまえ、することは宗教的に間違っていても、「まぁ、日本人がお祈りしているわ」と

その場に同席したイラン人達にとっての「喜ばし」であれば

その場は和み、話も弾むものであると思うのです。

だから、基本的なことは自分で勉強して、結婚してからご主人の宗教的アプローチに準じて

生活している義妹に礼拝前の手足の洗い方、礼拝そのものも教えてもらいました。

でも、ワタシは過去に宗教が原因でとてもイヤな思いをした経験があり、

今の所はしたい時に礼拝して、眠る時に羊を数える代わりに数珠でズィクルしながら眠ります。

それによって癒されるので、それでいいと思っています。


礼拝していれば神様が許してくれる、として女遊びをしている人を見たことがあります。

お祈りさえしていれば…、と犯罪に手を染めながらも礼拝をする人もいるし、

刑務所に入れられて初めて礼拝をして、礼拝をするのを看守に咎められると

私には宗教の自由も与えられていない!神様と話すのを刑務所は阻もうとする!と

大騒ぎする人も居ます。

…じゃあ、こんなことになる前に、あなた達はイランで育って小学生の頃からキチンとした礼拝を

習ってきたのにどうしてやめてしまったの?今になって何について神様に話したいの?と

色んな疑問の湧くことを外国人の支援者団体向けに、もしくはマスコミ向けに意識して

声高らかに呼ばわる人を見ると聞き返したくなります。


まず、良き息子・娘たること、良き父母であること、良き兄弟・姉妹であること、良き友であること。

これが大切なのではないのでしょうか?

自分のやるべき義務を果たしている人の声こそ、それぞれの宗教の「神様」であったり、

「仏様」であったりする「対象」に届くのではないでしょうか?

全てをないがしろしてまで、拝むのは間違いだよ、とワタシは息子に教えています。



JUGEMテーマ:育児
 
| ひとりごと | 19:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
ブログについて。
 使っていたブログサービスがジュゲムに移行?になるとのことで
移行の手続きをしました。

元々苦手な作業なので色だとか、メチャクチャです。

時間がかかるので見づらいかもしれませんがよろしく見守ってください(笑)

文字の色とか、時間のある時に変えます。

(すみません、言葉が足りなかったみたいで。
このブログはURLもこのまま、システムが新しいところに移行してしまったのです。
昔の記事もこのまま閲覧して頂けます。)



ま、でも面倒だな〜、とか思いつつも、えいやっ!と移行したので12月に突然

このブログが消滅、っていう事態は避けられそうです。(たぶん…)

このままで更新するかもしれませんので、その時も気合で読んでください、すみません!

追記:

あっ!モバイルの方、色々出来るんですねぇ。

今まで写真が数枚ある記事は、全部表示されなかったのですが、

小さく表示され、クリックすると表示されます。

テンプレートも使ってみちゃったりして。(けっこう楽しんでいる?)

不慣れですが便利なところもあるみたいです。勉強します。

| - | 23:21 | comments(1) | trackbacks(0) |
遠距離生活に思ふこと。
昨夏、一緒に渡イランし、ワタシと息子のカンゾウだけで帰国。

主人とは8月下旬から電話で仕事の連絡や、カメラをつけたスカイプで

話をする程度でした。

最初からあまり期待をしないようにしていたので、

大晦日に日本に帰国した主人が結局二十日足らずでまたイランに

行ってしまっても今回は、勿論寂しいけれどもあまり心は騒がず。

ワタシの体調をわかってくれ、気づかれしないように友人を

家に招くことも無く、近所のファミレスでお茶していたり。

(これ、すごく助かりました 笑)

安めのプランとはいえ、短い滞在にわざわざ他県の温泉に行く必要が?と

思いましたが、温泉に気持ちよく浸かり、殆ど日本に居ないため、

仕事の道具がいっぱい入った車の代わりに借りたレンタカーはナビ付きで、

特に帰り、後部座席で息子は眠ってしまったし、ゆっくり話すことができました。

病気のこと、仕事のこと、自分達のこと、イランの家族のこと、息子のこと。

お互いに相手を思いやれるようになれた気がします。

既にイランに行ってしまいましたが、

いつもの電話だけのコミュニケーションに気持ちがこもるようになりました。

ワタシも気をつけて、息子と二人で居る時についやってしまう、

「限界までやる」、というの「適当でやめとく」で

今のところキープ出来ています。

主人が居る時も、疲れそうになる前に果物食べようか、とか、

お茶飲まない?とか言って早めにサボるようにしました(笑)

おかげで主人の前で寝込むことは無く、

「頑張り過ぎて三日寝込むなら一日休む、で、いいんじゃないの?」

と言われました。

何事もほどほど、ですよね。

ついつい抱え込んでしまいそうになるので。

帰国の直前にも、少し時間が出来て、二人でインドカリーに行ったり。

そういう時間がとても楽しく、嬉しいということも、伝えました。

(日本語じゃこっぱずかしいのでペルシャ語で 笑)

主人は「ウン…」とやっぱり恥ずかしそうでしたが。ふふふ。

持病があるし、長く付き合っていくしかないものなので、

体調とやらなくてはならないことも折り合いをつけなくては。

…なんて思いながらあれよあれよと言う間に5月末に仕事渡イラン。

10日ほどで疲れまくって帰国。

実家に預けた息子がまた背が伸びていて愕然としたり(笑)

(この「愕然」は中三までに制服誂え直し?!の恐怖なのです)

主人はその後の一人で足りる仕事があるので残り、

そのまま夏休みにワタシと息子で渡イランして、父子再会。

大きめの仕事は運良くディレクターさんが断食月を避けたい、と言うので

9月に延期。

小さめの仕事をやりつつ国内旅行もして、母子で帰国しました。

延期の仕事が始まるので主人はまた残り(笑)。

冬までに帰ってこれたらまた三人で楽しくお正月が出来るんだけどな。

お仕事があるのはありがたいのですが、何かと思うことが多い気質なので

あまり遠慮せずに電話して喋ります。

溜めると良くないのです。

で、自分が日本に居ないので体育祭のビデオ撮っておけ、とか

いろんな秋のイベントに敏感で「いつなんだ?!」とチェックされてます。

…ビデオで思い出しました。

主に姑の故郷と、テヘラン、南部の湾岸地域、ハメダーンに行きましたが、

ハメダーン、良いですねぇぇ。

ますます大好きです。

また行きたい!と思う村もありました。

とにかく素敵で!…って書くだけ?!って言われそうですが、実は。

このハメダーンに行った時、道々にいい湧き水がありまして。

空のペットボトルをテヘランから持っていって水を汲んだのですが、

一緒に来た義姉のとこの末っ子がキャップをちゃんとしめていなかった…。

見事にトランク内が水浸し、主人のカメラが溺死(笑)。

「いや、僕が確認に一締め足りなかった」と反省していましたが。

それで写真が全てダメになってしまったのです。

重いのでワタシのカメラは日本から持ってくるなと言われたのが、このザマです。

幸運にもテヘランにSONYの代理店があり、修理の見積もりをしてもらったところ、

9000円ほどで直るというので直してもらいました。

失ったものが(大袈裟かwwワタシ如きの撮った写真なぞ。プッ)大きかったか

ショックで少しカメラ欲が再び湧いてきたような気がします。

お仕事頑張ったのでそのうち小さいカメラをねだってみようと思います。

そう、病気で家のことと仕事をすること以外はおざなりになっていましたが、

PCの外付けHDDにはまだ写真が入っているし。

今度色々開けてみようと思ってます。

それにしても!!今年の日本の夏の暑いこと!!

イランよりも苦しい思いをしました。

ちょっと秋?と思う気候になった日もあったのにまた今日は暑かったし。

息子が空手の稽古に行っている間に買ったばかりの中古ソフトが調子悪く、

お店に相談してみたら交換してくれ、お詫びの割引券ももらいました。

せっかくこの方向に来たのだから、とモスバーガーに行ってお昼をお持ち帰りで注文。

稽古終わりで帰宅してシャワーを浴びた息子はモスを食べたあと、

土日は「ゲームOKデイ」なので少し同じソフトをチェック。

少し遊んでまた空手の昇級試験に出かけて行って、帰宅して問題のポイントまで。

「大丈夫かなぁ」と二人で主人公がハシゴを上るシーンを凝視。

無事、主人公がハシゴを上って行くのを見守りました(笑)

さぁ、明日は母が「少し涼しくなったからお寿司行こうか!」と誘ってくれたので

息子の散髪が済んだら敬老の日のお花を買って呼ばれてきます。

ちなみにまだ実家に行っていない=両親に会っていないと行ったら

電話で話した義姉が「何故?!早く行きなさい!」と言われました。

日本でも珍しいのかな、父は喜びますが、母は予定外のことが起こると

不機嫌になるので呼ばれるまで待つのです。

ここもイランとは全然違うんだなぁ。

いつまで「違うなぁ」と思いながら暮らすんだろう(笑)

それも新鮮でいいのかな。













| ひとりごと | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
疲れています。
5月下旬から仕事で渡イランし、先月3日に帰国しました。

それ以来、ずーっと疲れています。

これは!と思った写真も大将の小さいカメラで撮ったもので

あっちも忙しくメールで送信する時間も無い気配。

このひとりごとにも一枚くらい写真を載せたいのですが、

選ぶ時間があれば惰眠を貪りたいと言った体(てい)で。

そんな中前日まで行くか、行かぬべきか?!と悩んでいたお友達との集まり。

行って良かったです…。

お友達の顔を見るっていうのは元気が出ますね。

ありがたいです。

さてと、今夜の若大将カンゾウ氏のリクエストは鶏のから揚げ。

もう漬け込んだし、ゴハンもスイッチを押すだけ。

イランのイの字も無い記事でスミマセン…。

次回は頑張ります。
| ひとりごと | 17:47 | comments(4) | trackbacks(0) |
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